三木助
ひとつ、落語を稽古すると、きっと、近藤に聞いてもらった。
近藤は、そんな時、茶を運ばせると、うちの者に、二階へは上がるな、と、ひと払いをして、三木助と、ふたり切りになった。
かみさんに、一ッ時、時をまちがえて、早く、起こされて、魚勝が、芝の浜へ、魚の買い出しにくる。
まだ、まっくらで、浜には、人ッ子ひとり、いない。ぶつぶつ、文句をいいながら、砂ッ浜に、盤台をおろしたところである。
三木助の大きな鼻に、うっすら、汗がにじんでいる。
「ちょいとごめん」
近藤が、立って、庭の方の、硝子障子をあけたら、さわやかな風が入ってきた。
そのあいだに、三木助は、きちんと畳んだ高座手拭いで、鼻の頭の汗を拭っていた。
「三木さん、苦労したね」
まだ、<芝浜>を聞いている途中なので、いいわるいなんか、いわないつもりでいたのに、近藤は、つい、そんな、ほめる調子になった。
「へ」
少し笑い顔で、あと、ひどく、きびしい顔で、ひとことだけ、そういった。
三木助の、真向かいに、またすわって、鉛筆と紙を、膝の上に置いて、すぐ、メモの出来る用意をして、
「どうぞ」
と、かるく、こんかめが、頭をさげた。
「へ」
もういちど、そういってから、三木助が、
「お願い致します」
と、これも、頭をさげた。
「ええ、こうやって、浜へ、盤台をおろしまして・・・・・・」
と、これは、三木助自身の声で、そっくり、もういちど、さっきとおなじ動きをしてみせて、
「ああ、磯ッくせぇにおいだ」
と、こんどは、すうッ、と、<芝浜>の、落語の中の、魚勝になって、少し、鼻をむずむずさせてから、ひとつ、大きく吸ってみせると、
「このにおいを、ひさしくかがなかったンだからな。ああ、たまらねぇや、こいつがかぎたくって、この商売(しょうべえ)ンなったンだからな」
(中 略)
「あ、赤みが射してきやがった、赤みッていうより、黄いろだな、あ、そうじゃァねぇ、橙だ、橙色だ、おや?どす黒いとこもあるよ・・・・・・いい色だなァ、お、おてんとさまだ、おてんとさまが出ておいでなすった」
ふたつ、拍手を打って、鼻の前で、合掌したまンま、
「へい、今日から、商ぇに出ます、お頼ン申します」
江戸ッ子の、生一本で、さっくりした、棒手振りの魚屋が、そんな短いことばで、あざやかにあらわされる。
そんな、しらしらあけの、朝の空の描写だって、いままで、こんかめが聞いていた<芝浜>にはない。魚屋の、ぞんざいな、べらんめぇ口調を使いながら、みるみる、刻々に変わっていく、日の出直前の、色の変化がとらえられている。
近藤は、そういういいかたは、きらいなのだけれど、三木助の、そういうとらえかたというか、そういう三木助の芸を、まるで、文学みたいだな、と、感心する。
三木助『芝浜』には、近藤(アンツル)が演出で知恵を出した部分もいくつかある。例えば、芝の朝の情景に帆かけ船を加えることや、財布を拾って慌てて帰ってきた魚勝を迎える女房の仕草など。
しかし、あのマクラは、引用した文が物語るように、三木助オリジナルである。かつて人形町の朝湯で、彫勝から聞いた昔の江戸情緒あふれる隅田川の白魚の話、そして三木助の桑名での経験などが土台となっている。
『芝浜』については、昨年末、いろいろな方のブログで話題になることが多かった。
数ある江戸落語の中で、果たしてこの噺は、それ程もてはやされるようなネタなのか、という指摘も多かったように思う。また、そんなにおもしろい噺か、という問題指摘もあった。たしかに、評価が難しい噺なのかもしれない。
このネタを特別視し過ぎて、“凄い”ネタだ、と持ち上げれば持ち上げるほど、「そんな大したネタではないだろう?」という意見が出るのも分からないではない。本来の落語の持つ可笑しさを盛り込む部分が多いとは言えない。かと言って“人情噺”かと言うと、あの“サゲ”があるので、厳密に言うと滑稽噺の範疇に入るべきもの、という見方もある。
「落語の『第九』だ!」という表現を聞いたことがあるが、言い得て妙だろう。年中行事的なネタかもしれない。また、そういうネタがあって良いと思う。いわば、年末の恒例行事的なネタとして、楽しめればいいわけだろう。
「東京が江戸と言いました頃とは大変違うようですな。隅田川で白魚(しらうお)が獲れたなんて時代があったそうでして、広重百景などを拝見しますと、 大きな四つ手網を下ろしまして白魚を獲っているところなどがありますけれども、私はひと頃人形町の方にに住んでいるたことがありますけど、ちょうど お湯に入っていると、ご年配の方もご一緒に入ってらして、幾つかの話の末に、『ねぇ、昔はこの近所は一月になりますと小鰭(こはだ)の寿司を売りに来たんで すよって、なるほど十二月半ばから一月にかけての小鰭というものは本当に脂(あぶら)がのってとっても美味しいものですね。二月になりますとね、大橋の白魚というものを売りに来まして、こいつが美味うござんしてね』という話をうかがっています。
二月の大橋の白魚というものが一番美味しいんだそうですね。翁(芭蕉のこと)の句に『あけぼのや白魚白きこと一寸』なんてのがありますな。これはまあもっと前のことかもしれませんが、ふるい都々逸(どど いつ)に『佃育ちのシタウオさえも花に浮かれて隅田川』なんてえのもあります。これは三月、四月になりますとだんだん大橋の方から上へ白魚がのぼってまいります。そうなりますてと、本当は白魚の味としてはグッと落ちるんだそうでして、やっぱり二月の白魚が一番美味しいとされております。
で、昔は乗り物がただいまのように自動車でいらっしゃるなんて時代じゃありません。大概は船と駕籠でございますな。とりわけまして船の方ときますとのんびりとしまして、一杯召し上がる方が二、三人で船へお乗りなりまして、差し向かいでこう盃をやったりとったりしながら、亀戸の梅の噂でもしたりしているうちに段々船が上手へのぼって行くなんてぇのはなにかのどかな風景ですな。
え~、船頭さんの方もよく心得ております。あっ、この人は筋の通ったお客だなと思うと、船の艫(とも)のところへ小さな四つ手網をかけて、それで漕いでいるうちにいつかこの四つ手の中に白魚が入ります。頃合いを見て、『お客様、魚が獲れましたよ』とこう声を掛けてくれます。こんときにそのお客様の方で、よくわかりませんで、『あっ、どんな魚が獲れたんだい』 なんてなことを言おうもんなら、船頭がイヤ~な顔をしましてね。『チェッ』と舌打ちをしながら、獲れた白魚をぽ~んと川ん中へ捨てちまったんだそう です。これは受け方が難しい。『あいよっ』てんで、こう盃洗を出してやりますと、生きている白魚を盃洗の中へ泳がしてくれます。これを箸でつまんで、ちょいと御下地(おしたじ)の中へ入れますと、白魚はまあ水と御下地の区別がよくつかないらしいんですな。ですからこれをパクと飲んじまう。 で、白魚の中にず~っと下地が入って行くのが透き通って見えたそうですな。きれいなもんですね。これを箸でつまんで口ん中へ入れまして、ちょいとこう前歯で噛みますと、いい具合に御下地が口ん中へ広がりましてね、美味しいんだそうですな、こりゃまあ、私はいただいたわけではございません。まあ、話を聞いてよだれを垂らしただけなんですけども……」
三木助師匠の「芝浜」の枕部分はこのようにとっても風情があり、また本題に入ってからの芝浜の朝の風景描写も素晴らしいものがありますが、ただ「芝浜」という噺の内容そのものはあざといお涙頂戴の人情芝居という感じがして、私はあまり好きになれません。それよりつぎに紹介する「崇徳院」(1960年5月12日NHKラジオ放送から収録)の方が会話がとても粋で人物の動きにテンポがあって楽しいですね。
熊さんが大旦那から呼び出され、若旦那が医者も原因が分からない病に臥せっているが、熊さんなら病の原因を話してもいいと言うので来てもらったとのことで、ぜひ病の原因を訊き出してくれと頼まれます。頼まれた熊さん、早速病に臥せっている若旦那のところに行って病気の原因を問いただしますが、「言ったら笑うだろう」と恥ずかしがって正直に言いません。それでもなんとか訊き出して分かったことは、若旦那が上野の清水寺の高台の茶店で初めて出会ったお嬢さんに一目惚れして、それ以降すっかり恋患いにかかってしまったとのことです。
なお、若旦那は上野の清水寺で出会ったお嬢さんのことを「水も垂れるような人」と表現し、それを聞いた熊さんが「へぇー、ひどい顔だね。早い話が蜜柑を踏んづけたような顔だね」と解釈します。若旦那は慌てて「いい女のことを『水が垂れるような』と言うんですよ」と熊さんの誤解を訂正しています。
そのお嬢さんが茶袱紗を落としたので、若旦那が拾って手渡したそうですが、そのときに桜の木に糸で吊られていた短冊がパラパラとお嬢さんのそばに落ちて来て、その一枚をじっと見ていたお嬢さんがそれを若旦那にそっと手渡したとのことです。その短冊には「せおはやみいわにせかるるたきかわの」と書かれてあったそうで、若旦那はそれが崇徳院の「瀬を早み/岩にせかるる/滝川の/われても末に/逢わんとぞ思う」という歌の上の句だと分かり、お嬢さんが「いまはここであなたと別れても、末には夫婦になりましょう」との思いを自分に伝えたものと理解し、それから以降、掛け軸の達磨さんやそばの鉄瓶を見てもすぐお嬢さんに見えるほど恋しくてたまらないとのことです。
熊さんがそのことを大旦那に告げますと、大旦那は熊さんに崇徳院様の歌を手がかりにしてお嬢さんを必ず探し出してくれと頼みます。そして、もし探し出してくれたら熊さんが今住んでいる三軒長屋を全て与えると約束し、息子の命はあと五日と医者が言っているから、探し出せなかったら倅(せがれ)の敵として名乗って出るよと脅かし、熊さんの腰に草鞋を十足も括りつけて送り出します。
そのことを聞いた熊さんのおかみさんも大喜び、長屋の熊さんから大家の熊さんになれるよと励まし、熊さんの腰にさらに草鞋を十足括りつけて、頑張って探しておいでよと外へ送り出します。こうして何日も熊さんはお嬢さんを探して歩き回り、最後の日にはお湯屋さんに十八軒、床屋さんに三十六軒と足を棒のようにして探しまわり、ついに目出度くお嬢さんを探し出すことになりますが……。
噺の前半のお人好しで元気だが無学でがさつな熊さんと、彼と対照的に坊ちゃん育ちで線が細いが詩歌の道に明るい若旦那との会話が楽しいですし、恋患いにかかってしまった純情な若旦那の心情もほのぼのとしてなんともいい感じです。また噺の後半では熊さんが「せおはやみ、いわにせかるる」と大声を出しながら「「蜜柑を踏んづけたような顔」のお嬢さんを探し回る姿がテンポよくコミカルに描かれており、何度聴いてもあきることなくとっても楽しい噺に仕上がっています。




